プラティヴィンディヤとドゥフシャーサナの戦闘
先日、こんなことをつぶやいた。
そういやクルクシェートラの戦いにはプラティヴィンディヤ対ドゥフシャーサナというおおよそ私しか得をしない対戦カードがあるんですけど、両者の交戦が「宇宙紀の終わりにおける水星と金星の接近のようであった」って形容されるの、古代インドの天文学(占星術)を通して何か分かりませんかね?
— チヒロ8946号@のるるん似 (@fukaplanet8) 2017年3月8日
ちなみにこの「引用」は確認してみるとかなり不正確だった(´・ω・`)すみません。
王よ、両者の対戦はめざましいもので雲のなくなった空における水星と金星の遭遇のようであった。*1
引用の内容は結構ニュアンス違う感じですが、それでも古代インドの人たちの天文現象の見方を考える上では結構面白い記述なんじゃない?と勝手に思ってしまっている。ここから何かを読み解くのは絶対大変だけど!時間があればやりたいです。時間があれば。
知識の必要性
よく「星空を楽しむのに知識はいらない」っていうじゃないですか。まあ、その通りなんだけどそれに対して「足りないのは知識じゃなくて論理的思考なんじゃないの?」と突っ込んだらダメですよね、人として。
知識は大事だけど、それはスパイスのようなものなのではないでしょうか。知識は他人からいただくもの。他人から提供されたものを美味しくいただくか、それを置いて自分なりに楽しむか、どっちもいいですね。楽しみましょう。
ただ、世の中には間違った知識もありふれています。それを見抜くには知識の上に論理的思考も必要だし、証拠だって必要なのだけどそれを見抜ける人ってまだまだ少ないよなあ。まあ、ここで偉そうなことを言っている私とてそれができる自信はないですが、その姿勢を忘れないよう努力する義務はあると思います。がんばろー(`・ω・´)